2024年所感

shinagawa prince garden 所感

怒涛の2023年が終わり、気づけば年を越していた。
昨年の紅白はおそらくコロナにかかって倒れていたので、人生初めて一切紅白を見なかった自分に驚いていたのだが、今年も色々あったのと、年末ダメ押しのウィルス性胃腸炎におそらくかかって倒れていたので、2023年末も紅白をみなかった。
まさか2年連続で紅白も行く年くる年も見ないとは思わなかった。ついでいうとジャニーズカウントダウンも2023年末なかったのは印象的だった。
コロナが始まり、「風の時代」と言われるようになったが、こうしてジャニーズカウントダウンもなくなって、まさかの紅白も一切みなくなる年がきて、世の中も色々変わった気がした。体調を壊していない私の友人ですら、もはや紅白を見ていなかったりするのである。
年々、「年末感」というものがなくなってくる気がしてはいたが、こんなにも年末感がなくなっていくものか、と思う。

個人的には2023年のイブに別れがあり、突如1カ月半近くの休みを得た。もっと有意義に過ごせた気もするが、私という人間だから、資格をとるだの、勉強するだの、ダイエットするだのといった優等生にはなれなかった。とはいえ、先延ばしにしていたこまごまとしたことを消化できたのはよかった。

例えば、気になっていた物置の掃除や、靴箱の掃除。断捨離をするのだが、結局整理整頓のためといって、棚を買ったりしているもんんだから、モノの増減はプラスマイナスゼロな気がした。服も太って着なくなったものを、「いつか痩せる」と思ってとっていたが、いっこうに痩せないので、さよならをした。

私は服は長いものだと、20年以上着るものだから、中々捨てるのに抵抗がある。母から、つまらないものに金をかけず、必要と思ったときによいものを買ったほうが経済的だ、と言われて育ったものだから、中々服もいいものは捨てられないのである。とはいえ、家が狭いのもあるし、なんだか気の流れもよくしたくて思い切って最後の砦の服たちも手放した。よく、「一年着なかったものは着ないからお別れすべし」というが、そんなことをいっていたら、私の場合ほとんどさよならになってしまうので、それでも順序をつけて残すものは残したつもりである。

整理整頓をしていると、どうしても、「もっとモノがなくてスタイリッシュな生活」というものにあこがれるが、そのためには、きっともっと広い部屋に住まないと生活がまわらないし、そんなスタイリッシュな生活は私には到底できないのだと思う。それでも「スタイリッシュな生活」にあこがれて、小物をそろえたりしてみる。食器なども本当はこだわりたい。ただ、統一感あるようにそろえるためには、到底道のりの通り私の持っている一軍の皿たち。結局一番使っているのが、一番デザインが気に入らない、引き出物の皿。使うたびにイラっとするデザインなのだが、電子レンジに気兼ねなく使えたり、割ってもいいや、というぞんざいな扱いをすることができるので、ついつい使ってしまう。「いつかは割れてしまうものだし」といって、割ってもよいものを使いがちだが、やはり自分の気に入るものでご飯を食べたい、とおもった。しかし、これまたどう皿を揃えたらいいかわからず、二の足を踏んでいた。これも、もう勢いで、ネットで必要な皿を一気買いした。もちろん、日常使いもしたいので、電子レンジ、食洗器可のもので。これはまだ到着待ちではあるが、差し替えられそうなのが楽しみである。

また、新しいことというと、初めて「エアコンクリーニング」をプロに頼んだ。どうも幹線道路が近いと、すぐ黒くなる。とはいえ、高いお金を払ってまで有料のクリーニングを頼むのに億劫になっていたが、これもネットで勢いで頼んだ。真っ黒だったので、中のファンのところまで個人では洗えないのでよかった。しかも、5年に一回程度でよいそうだ。本当は毎年しないといけないかと思っていたので、自分のズボラさを恥ずかしく思っていたが、ちょうどよいころ合いだったようなのも安心した。ちなみに、自動洗浄機能がついているエアコンのほうが作業代が高くなるようだ。せっかく高くてよいエアコンを買ったのに、作業代が高くなるのはなんだかなぁ、と思ったりした。

あとは行けていなかった映画だの、お店だの、カフェだの、エステだの、ヘアカットだのをこなし、また会えていなかった人に会いにいったりもした。そんなことをしていると、あっという間の休みであった。

ふいに悲しくなる瞬間もある。年末はやはり悲しくて泣いていた。ただ、そこに蓋をして日々ぼーっとすることで何かを守っていたような気もする。今はそれでいいのだと自分に言い聞かせていた気もする。結局どうするのが一番よかったのかわからないが、これまた人生というものだと思う。

人生の中での急な一休み。ありがたい一休みだったのではなかろうか。
1カ月以上毎年バカンスをとるフランス人にはあこがれる。やはり休みは1カ月とらないと休みでない気がする。日本人や、私も含めてそうだが、「休み」といわれると、必死に「休みの間のタスク」をこなそうとしてしまう。そうではなく、「タスクがない日々」を楽しむことができる欧米人は、すごいな、と尊敬する。まぁできないものを無理やりできるようにしようとも思わないが。忙しい旅だって、それが本人がやりたいことなんだからいいではないか、と思う。

忙しい旅も忙しくない旅もどちらも好きだ。
また旅に出たい。
こう考えると、自分は自分優先の人間なのだと思う。
人のために動くのが本来的に億劫な人間なのである。
だから、たまに離れたくなる。
でも寂しがり屋だから、「一人時間を楽しんでいる私」に酔える程度の時間でよいのである。
たまにそういう時間があると、自分を取り戻せる気がして、私は好きである。
そういった時間が全くなくても苦にならない、という人もいるから、人それぞれなのだと思う。

人がどう生きていくのか、どういう選択をしていくのか、それはその人の選択であるから、何も正解はない。
ただ、やはり人は人と触れ合うことで学ぶことが多いのは事実である。
この年になっても、自分の立場が変わり、環境がかわり、いかに今まで「見えていなかった」のか、「感じられなかったのか」ということがあったので、それはありがたいことだと思う。
ただ、それを経験していないからといって、必ず経験すべきものでもないと思う。
そういった人それぞれの選択にバイアスを持たず、フラットにものをみれるようになっていきたい。

前段が長くなったが、2023年末から今年の始まりは、大きく事件が起きた年であった。
2024年末に今年を振り返り、どういった年だったのか、また振り返りたい。

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